- TEI-ZAN操体医科学研究所(別院) - http://sotai.org -
「きもちよさ」がわからない
Posted By Hiromi Hatakeyama On 2010年7月28日 @ 5:11 PM In | Comments Disabled
「きもちよさ」についてよくわからない、という質問をよく受けます。実際に臨床に携わっている方々、操体の本を読んで試してみた方など様々です。
私の経験から言うと、操体を学んでいて壁にぶち当たる方々の悩みは大抵共通で、
ということです。
これらの主な理由は3つです
また、専門家の場合は
などの理由が考えられます。
まず、最初にお話しておきたいのは、操体の歴史です。
1980年代半ば、北村先生が温古堂に居られた後、今昭宏先生が85歳の橋本敬三先生の代診を勤められましたが、この時、操体は「楽」から「快」にシフトしました。
橋本先生ご自身、「マストから落ちた男」(生体の歪みを正す 63P)や、体幹の前屈など、比較対照の動診をしなくてもきもちよさがききわけられるものはされていました。しかし、実際には殆ど「楽か辛いかを比較対照して、瞬間急脱力」というのをされていましたこれを、私達は「第1分析」と言っています。第1分析は『運動分析』です。
90歳の卒寿のお祝いの席で、橋本先生は「楽ときもちのよさはちがう」「動きより感覚の勉強をしなさい」と、言われています。しかし、橋本先生は、『楽ときもちのよさは違う』と認識されていたのですが、その理論を確立することなくそれを三浦先生、今先生などの弟子に託し、祖神の里へ帰られたわけです。
その後、「楽ときもちよさの違い」を、三浦先生が研究しつづけ、対なる楽な動きを比較対象するのではなく、ひとつひとつの動きに快適感覚がききわけられるのかをからだに問いかけ、きもちよさがききわけられたら、それを味わうという、分析法を確立しました。これが第2分析です。これは、『感覚分析』です。
最初、三浦先生が「楽と快はちがう」ということを全国大会で発表したところ、総スカンを食らったそうです。「どこが違うんじゃ」ということです。また、当時は『快』とか『きもちよさ』というのは、あまりポジティブに受け取られる言葉ではなく、性的なニュアンスを感じた人がいたからかもしれません。しかし、『脳内革命』とか、脳内物質の解明などがされてくると、『快』という言葉が急速に一般に広まりました。「きもちいい」という言葉はポジティブワードに変わったのです。
そうなってくると、全国大会とかで「楽と気持ちよさのどこが違うんだ」とか言われてた先生方も「操体はきもちよさだよ」と言うようになってきたのです。今、全国大会に行っても『楽』という言葉は聞きません。
しかし、それはいいのですが、「対なる2つの動きを比較対照して、瞬間急速脱力」という、『楽』という「運動分析」をといかける動診に対して、言葉だけ『きもちよさ』を使う方達が増えてきました。
例えば、果たして対なる動きを比較対照した場合、可動域が大きい(楽に動く方)がきもちいいのかと問われると疑問です。私もそうですが、大抵の人間は『可動域が大きい=きもちいいはず』という勘違いをしているのです。三浦先生が多数の被験者で統計を取った時にわかったのは『楽できもちいい』ということは滅多になく、『楽でなんともない』というケースが多かったそうです。また、私も日々の臨床の中で感じていますが、可動域が小さくても、動きがスムースでなくとも、きもちいいという場合が相当あります。
つまり「楽な方に、きもちよく」という言葉に、疑問を感じなければ、快適感覚をききわけさせる分析(診断)指導はできないということです。
また、操体では「快不快の法則」ということをうたっています。
これは、ボディに歪みが生じている場合、動かすときもちいいか、不快かという法則が成り立ち、バランスが取れているときは「ニュートラルでバランスがとれていて楽でなんともない」という捉え方をしています。
なお、ボディに歪みがなく、息食動想のバランスが取れていて、きもちいい、爽快である(生きていることがきもちいい!という幸せ)ケースもありますが、殆どは『快不快の法則』の上で、感覚のききわけを行います。
『楽』(運動分析)を問いかける第1分析と、『快』を問いかける第2分析(感覚分析)を混同させているが諸悪?の根源です。
また、操体には「動診(分析)」と操法(治療)」という二段階のステップがあります。
これは第1分析においても第2分析においても同じです。
これらの2つ
がついていないことが、現在の操体界の混乱を招いていると思っています
これらの区別がついていないと、
『どちらがきもちいいですか』とか、最初から『きもちよく動いて』とか『きもちよさを探して動いて』という不適切な指導をします。
これが何故不適切かと言えば、患者さんにいきなり「きもちよく動いて」と言っても大抵は動けない、動き方がわかりません(痛みを与えたり、逃避反応を利用した場合は動くかもしれませんが)動き方がわからないので、いろいろもぞもぞ動いて「探そう」とします。逃避反応は無意識の動きですが、「さがす」のは意識的な動きなので、逃避反応とは違うのです。
更に上記を混乱させているのは、世の中にたまに存在する、「きもちよく動けてしまう人」達の存在です。このような指導者は、自分がきもちよく動けてしまうので、ごくごくシンプルに「きもちよく動いて」という指導をしてしまうのですが、クライアント(患者)はまずきもちよく動けません。また「きもちよく動けてしまう人」というのは、身体能力に優れた方が多く、武術やヨガなど、ボディワークをやっておられる場合が多いのですが、それらのなかで「きもちよさを探して」というフレーズを聴くことがあり、その辺の混同があるのではないかと思っています。
Article printed from TEI-ZAN操体医科学研究所(別院): http://sotai.org
URL to article: http://sotai.org/kimochiyosa/
URLs in this post:
[1] 操体 操体法: http://sotai.org/tag/%e6%93%8d%e4%bd%93%e3%80%80%e6%93%8d%e4%bd%93%e6%b3%95/
[2] Home: http://sotai.org/
Click here to print.
Copyright © 2010 TEI-ZAN操体医科学研究所(別院). All rights reserved.